長井雅楽と大村益次郎の辞世の句が類似している件、
山口市教育委員会の方にご回答をいただいた。
どうも益次郎が航海遠略策に共感したということもなかったようで、
2人の交流の記録もないようである。
益次郎が長井の"句"に共感し、長井の句を益次郎自身の手帳に書き留めたらしく、
それが益次郎の辞世の句として扱われている。
もっとも、その手帳の所在すら不明とのことで、
おそらく、書き写したのが京都遭難の前なのか後なのかも明らかではないだろう。
なぞはなぞのまま。
でも、現状ではここまでしかわからない ということが分かっただけで、満足である。